▼ 帰りに・・・と言っても
まだ9時半
道の駅に寄りました
道の駅 みとう
8世紀の半ば、時の聖武天皇は国が
未曾有の危機にあると考えていたんだわん。
国の実権を握っていた藤原四兄弟は天然痘で
あっけなく命を落とし、その後相次いで
大飢饉・自然災害が連発。
実権を奪われた藤原氏の子孫(藤原広嗣)が
大宰府で反乱を起こし、
社会は大きな不安状態にあったんだわん。
そこで天皇はわらにもすがる思いで
信仰に救いを求めたんだわん。
741年、国分寺建立の詔(みことのり)が出され、
全国各地に国分寺・国分尼寺が建立されたんだわん。
そして743年、大仏造立の詔が出され、
745年その建造が始まったんだわん。
奈良の大仏様は正式名称を
慮舎那(るしゃな)仏と言うんだわん、
その建造には多くの銅が用いられているんだわん。
さて、その際その多くの銅を美祢市美東町長登の
長登銅山から運んだとされているんだわん。
その遺跡が産業史上重要な位置を占めるとして2003年、
長登銅山跡は国の史跡に指定されたんだわん
「道の駅みとう公式ブログ」より
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