▼ 先に駐車場へ行き
ぼ~~~~~っと
関門橋を見ていました
▼ 遠くに小さい点々が。
肉眼では確認できませんので
ず~~~~む
多くの小型漁船が漁をしていました
潮の流れが、川か!と
思うくらいに速く
また、タンカーなど大型の船舶も
ひっきりなしに、多く行き来しており
危ない海峡です
▼ ふと、目を落とすと
海面に次から次へと
クラゲが ぷか~ ぷか~
浮き出てきました
▼ 流れに乗って
相当な数の集団
▼ 時間があるので
もうひとつの神社
亀山八幡宮へ
赤間神宮から400~500mくらいです
▼ この神社は
野球の神様としても有名で
▼ 山の部分にボールが!
昭和30年代に、野球の練習をしていた
近所のガソリンスタンドの人が打った球が
たまたまここに挟まってしまい、
取るに取れずそのままにしていたところ、
ゲン担ぎで必勝祈願に来た地元の
下関商業高校の野球部が甲子園で
春は優勝、夏は準優勝。そして、翌年、
これまた地元の早鞆高校が夏の大会で
甲子園初出場にして準優勝!
したんだわん
▼ 境内案内図
▼ 下関と言えばね河豚
ちなみに
FUGUと濁らずに
FUKUと発音します
▼ やっぱり 亀 だよね
神社地は古くは島でしたが、江戸時代の始め頃、
毛利藩によって街の発展のために
陸続きにする埋め立て工事がおこされました。
しかし海峡の潮の流れは、ひと岩沈めればひと岩を流す急潮であり、
工事は多大の工費と、人の命を犠牲にするのみで
なかなか成し遂げられませんでした。
時に、江戸の「吉原」・京の「島原」につぐ
三大遊廓の一つであった稲荷町(現・赤間町)の、
疱瘡を病み顔に「アバタ」のあるお亀という遊女が、
町かどに立った人柱募集の高札を見て、
「我が身を滅して功あるならば」と人柱に立ち、
月夜の海に白衣に身をつつみ、海に身を投じて埋立の礎石となりました。
その後急潮に悩まされる事もなく難工事も無事に終わり、
時の人は境内にイチョウの木を植えお亀さんの功績を讃えました。
これがお亀イチョウです。
お亀イチョウは先の戦禍にあい焼失しましたが、
お亀さんの遺志を継ぐかのように新芽が成長し、
今なお母なる木の面影をしのばせています。
~公式ホームページ~ より
www.kameyamagu.com
▼ 跡も何も無かった
▼ コロナの影響で
手水舎に水が張ってません
▼ 応神天皇・仲哀天皇・神功皇后を主祭神とし、
仁徳天皇・武内宿禰をあわせ祀られているそうです
▼ 宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)
www.kameyamagu.com
▼ 熊鷹稲荷神社(くまたかいなりじんじゃ)
www.kameyamagu.com
▼ 早朝から歩き疲れましたね
お腹も減ったし
移動して
休憩しましょう
にほんブログ村
↑ポチッと押してくださいだわん↑
Free Mail
wankoi20140214@gmail.com